セルフ 朔ユキ蔵 作

セルフ
作者:朔ユキ蔵
掲載:ビッグコミックスピリッツ
期間:2008-2010
巻数:全4巻
評価:★★★☆☆
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朔ユキ蔵作の『セルフ』は、ビッグコミックスピリッツで連載されていた、シュールコメディ調の人間ドラマ。

絶えず彼女がおり、女性に不自由したことのなかった図書館職員・国木田陽一が、社会人にして初めて独りですることを覚え、それを通して初めて自分と向き合い、自ら生き方を選び取っていく物語。


あらすじ

図書館職員の国木田陽一は、未だ自慰行為の経験がなかった。

中学では、家の隣のアパートに引っ越してきた成島美雪と知り合い、美雪の言うままに童貞を喪失、その関係は高校入学の頃まで続いた。

高校に入っても、なぜか女子に告白され、彼女が途切れたことはなかった。そして、それは社会人になっても続く…。


ある日、陽一はマスターベーションの学術書が頻繁に貸し借りされていることに気づく。マスターベーション、今まで気に留めたこともなかったが、それは陽一にとって未知の世界だった。

陽一は、その学術書を家に持ち帰り、読んでみたが、それは純粋な学術書であり、何もわからなかった。

陽一は試しに握ってみた。そして、いろいろ試してもみたがうまくいかなかった。

ネットで調べた登り棒を使った方法も、何をしているかを子供連れのお父さんに気づかれ、恥をかいただけだった。


そんなある日、陽一は同僚の泉薫に誘われデートに行く。陽一には有加(ゆか)という彼女がいたため、映画を見て、食事をしただけであったが…。

しかしその日の夜、陽一は寝付くことができなかった。デート中に薫が見せた頬を染めた表情が頭をちらつき、興奮していたのだ。

布団から出た陽一は、心と体のおもむくままに握り、動かし…、自慰行為というものを初めて達成した。


陽一は、有加との行為の間も自慰行為のことを考えるほどになった。こんにゃくを試し、ローションを試し、そして遂には人気のない海辺へと向かった。

波が打ち付ける岩の上に立ち、陽一は海に向かってこすった。しかし、陽一が達したとき、いつの間にか岩の傍らに居た少女の顔に、それがかかってしまったのである。

人生の終わり。そのとき陽一の頭を飛来したのはそんな言葉であった…。



なぜかモテる主人公

主人公・陽一は、悪いところはないものの、特に優れた部分もない受け身な男として描かれる。にも関わらず、陽一を好きになる女性が絶えずいて、性行為を行う相手に困ったことがない。

その理由として、陽一は常人よりも多くの精子を生み出す能力があり、本能的にそれを察知した女性がそれに惹かれるという理由付けがなされる。


こんなことはもちろんありえず、なぜかモテるという設定を説明するシュールなジョークみたいなものだろう。


人間は性器のドレイ

主人公・陽一が、隣に住む成島美雪に
人間はね、みーんな性器のドレイなのよ。
と言われ、そのまま童貞を喪失するシーンがある。

この言葉は、陽一の心に強く残る。

そして、絶えず女性に好かれ、たくさんの女性と度重なる性交渉を持った陽一は、女性の性に対する底の深さに触れ、性行為は女のもので、自分は彼女達の性器のドレイなのではないか、と考えるようになる。


本作者の作品では、性におぼれる、または流されてしまう女性が頻繁に描かれる。それは、女性である作者が漫画を通して、鬱屈した女性の性を描こうとしているからなのかもしれない。


その「人間は性器のドレイ」という言葉は、人間は自身の性的欲求を満たすためだけに生きている、という意を表しているようにみえるが、ざっくりとした人間の見方としてそれは正しいように思える。

それを科学的に説明しようと思えば、次のようなありふれた結論を導くことができる。

生物は、進化論的な淘汰圧によって生存と生殖の機能を最大化するように進化してきた。それゆえ、生存の確保が容易になった現代では、大部分の人の行動が生殖行動に由来すると言っても過言ではない。

といった具合に。


また本作では、男そのものが女の性器に奉仕するドレイだという、より踏み込んだ主張を展開している。

この言葉は、男は女の性的快楽を満足させるためだけに生きている、と言い換えられるが、これも一面の真実を語っているように思える。

それは、男女の性の営みにおいて、男が女を悦ばせたいと思う欲求が存在することからも、男の人生の大部分が女を獲得して養って生きていくために費やされることからも説明できる。
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