お茶にごす。 西森博之作

お茶にごす。
作者:西森博之
掲載:週刊少年サンデー
期間:2007-2009
巻数:全11巻
評価:★★★★★
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西森博之作の『お茶にごす。』は、2007年から2009年まで週刊少年サンデーで連載していた、青春学園コメディ。全11巻。

茶道部に入部した元ヤンキーが、等身大の可憐さと清廉さを持った茶道部部長に惹かれ、彼女のような人間になろうと奮闘する物語。


導入

高校生になった船橋雅矢は、なぜ人々は歩くだけで自分を避けるのか、なぜ知らないヤンキーが問答無用に喧嘩を売ってくるのか、悩んでいた。

自分は心のキレイな素敵な男であり、乱暴な男ではない、決して誰かを殴りたいわけではないはずだった。

しかし、街に出ると必ずガラの悪い男に絡まれてしまうので、雅矢はそんな男達を仕方なく倒してきた。すると倒した男たちの知り合いが復讐にくるので、それも仕方なくことごとく撃破してきた。

それは正に修羅の道であり、この道はいつまで続くのかと、思い悩んでいた。

そんな悩みを、幼なじみの山田航に話すも、雅矢を知る山田は、イヤイヤ無理だよと思わずにいられないのであった。

開架高校の入学式、同じクラスになったと喜ぶ女生徒というありふれた光景と共に、入学式らしからぬ話題が飛び交っていた。

それは、デビルと呼ばれる男の話だった。その男は船橋雅矢、通称・デビルまークンと呼ばれ、この学校に入学してくるらしいと、同級となる生徒たちは恐れおののいていた。

一方、雅矢は、俺はヒバリという鳥を知っている、ロハスな男だからと、これからのほのぼのとしたスクールライフを思い浮かべながら、山田と話していた。

校内では、部活の勧誘の時間となり、様々な部活が新人を得ようと、勧誘が始まっていた。

部活することにしていた雅矢も、どの部活に入ろうかと物色を始める。しかしながら、勧誘の生徒たちは雅矢が近づくと勧誘を止め、目を逸らすのが常であった。

そこに、「お茶いかがですか?」との声。雅矢が振り向くと、そこには雅矢の顔を見て凍り付いた茶道部員たちがいた。

「頂きましょう。」と茶を飲み干した雅矢に、茶道部部長・姉崎奈緒美は茶道を勉強してみないかと言う。周りからすぐに反対の声が飛ぶが、人を見た目で判断してはいけませんという姉崎に、皆は黙るしかなかった。

そんな姉崎に心打たれた雅矢は、入部する意志を伝える。雅矢が茶道部員となることに他の部員は戦慄していたが、「歓迎します。」という姉崎に誰も反論はできなかった。

当の姉崎の足もガクガク震えていたのだったが…。


あらすじ

天性のゴツイ肉体に凶悪な顔つき、そして人を人と思わない冷徹な精神を持つ船橋雅矢は、中学時代から近隣のヤンキーに恐れられていた。

しかし雅矢は、高校入学を機に、この暴力の連鎖から抜け出し、優しい人間になろうと決めていた。

入学式当日、雅矢は茶道部部長・姉崎奈緒美と出会い、姉崎のような人間になろうと茶道部に入ることを決める。

しかし部活初日から、「なんかあったら叩き出してやる」と、新入部員である浅川夏帆に、雅矢は釘を刺されてしまう。

争いを避けようと行動していた雅矢だったが、悪名高い雅矢は部活に行こうとしたところで不良にからまれる。とっさの判断で、隣のアニメ部に入った雅矢だったが、不良たちの傍若無人に雅矢は不良を殴ってしまうのだった…。

それからも、雅矢は時折手を出してしまうことがあったが、それはどれも誰かのためであり、また部長や幼なじみ・山田航の教育により、TPOをわきまえることができるようになっていく。

そして、いつしか部長への思いも、目指す人から守りたい人となり、それは恋心へと変わっていくのだった…。


真に「優しい人」とは何かを描く

この作品は、恋愛物語でありながら、主人公・船橋雅矢がいかに「優しい人」になっていくかを描いた物語でもある。そして作中では、雅矢と異なった性質を持つヒロイン・姉崎奈緒美が「優しい人」として雅矢と対照的に描かれる。しかし、この2人が示す「優しさ」は信念という同じ起源を持ち、またこの作品に描かれている「優しさ」こそが、真の「優しさ」であると提示しているように思える。


雅矢は、デビルまークンとして怖れられているが、恐喝や窃盗をしたことはなく、自分から暴力をふるったこともない。そのため、近しい人間は雅矢を信頼する。しかし、無感動な性格や敵と認識したときの容赦の無さから、親しい間柄であっても雅矢を心無い人間と認識する。

一方、雅矢は友人や同部活の人間が傷つけられたときは、怒り、迷うことなく敵を追い込む。そして、奈緒美のような「優しい人」になると決めた後は、知らない人間であっても、一方的な暴力にさらされていたり、理不尽な目にあっていたときは、意識的にではあるが、それを助けるようになる。


この雅矢の本質は、他人に怖れられ続けたゆえの他者への無関心、そして自身が強者であるがゆえの他者への共感心の欠如によって形成されたように思える。

近しい人間が傷つけられたとき、自分のことのように行動する雅矢の性質も、この雅矢の本質とは矛盾しない。普通の人が共感し、その後行動するのに対して、雅矢は”自分のことのように”ではなく、自分のこととして怒りや苦しみを感じているように見えるからだ。これは雅矢が、現実にも一定数存在する、親しい人間を自己の一部ととらえる性質を持っているためであると考えられる。

そして雅矢は、「優しい人」になるという信念を持って行動を始める。その行動は、信念を土台にしているために、平等であり徹底している。それゆえに、普通の人間が起こす気まぐれな優しさとは異なり、「優しさ」を受けた人は最終的には良い状態へ向かう。


こんな雅矢とは対照的に、奈緒美は真面目で大人しく、「優しい」少女として描かれる。困っている人がいれば助け、理不尽があればそれを正そうと行動する。そして奈緒美の行動もまた、平等であり徹底している。

奈緒美が「優しい人」となったのは、幼少期のある出来事がきっかけである。奈緒美は、困っている人がいると、助けたいという欲求が起こるものの、周囲から逸脱した行動を取るのを怖れ、動くことができない臆病な少女だった。

しかしある時、そんないたたまれない奈緒美の心情を察した人間が、「優しくしてもいいんだよ」と奈緒美に声をかけたのだ。それをきっかけに、奈緒美は他者を助けようと行動を起こすようになる。その「優しさ」は、彼女が臆病であるがゆえに、ある種の信念を持って意識的に行われる。そのため、その「優しさ」は冷静さを伴い、気まぐれな優しさとは一線を画する。


このように、2人は全く異なった性質を持ちながらも、信念により意識的に「優しさ」を発揮する、共通の「優しさ」を持った人間として描かれる。そして、信念に基づく「優しさ」を持った人こそが、真に「優しい人」であると本作を通して描かれているように思える。


感想

西森博之の作品は全てが傑作だが、最も心地よく笑えて、そして泣けるのは本作『お茶にごす。』だと思う。

照れくささなく自然に笑える上質なコメディが随所に散りばめられ、個性的でありながらも濃すぎないキャラクターはどの人物も魅力的だ。

そしてまた、全11巻と短い物語ながらも、共感的感動に溢れたラストは、心地よい余韻がいつまでも続く。
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